余白-コトバの外側

白と黒の間に世界は無限に在る

戦闘服

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ニッカポッカは

 

とても機能的にすぐれています。

 

ゆとりのある膝まわりは

 

立ったり座ったり屈んだりしゃがんだり

 

あらゆる動きを圧迫せず

 

タイトに締まった足首は動きを邪魔しないとともに

 

足元に置かれた道具を絡めとることもなく

 

しかも、大きなお尻をすっぽり覆ってまだ余りある腰回りと

 

下っ腹を目立たせないシルエット

 

また、細かく設置された数々のポケット

 

ニッカポッカはもともとは

 

オランダからアメリカに移民した人たちの間で

 

スポーツ着として愛用され

 

ニッカーボッカーさんというヒトの本の挿絵で広まったらしい

 

正しくは『ニッカーボッカー』であるとウィキはいう。

 

でも、この土方の作業着はやっぱり『ニッカポッカ』という感じやねん

 

 

鳩と鴉と鯖猫

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一匹の鯖猫が

庭の物置きの中で仔猫を産んだのは昨年の夏

家族はいつか巣立って

お母さん猫のだけ

ご飯を食べに来るようになった

野良猫の彼女は

決して触らせてくれることはないが

扉を開けたら外から出入り自由な

リビング横のサンルームと

リビングの私達と

同じ時間に晩御飯を食べるくらいに

お互いの距離感が縮まった

しかし

今日

鯖猫の食べ残しを

鳩と鴉が食べていて

鴉が食べ残しの延長線上で鳩を狙い

サンルームは野生の戦いの場となり

しかも人間に気付いて

慌てて逃げる鴉のサンルームのガラスに

激突しまくる様が恐ろしすぎ

洗濯を干すテンションが

ヨロヨロになってしまいました。

あんなに恐ろしい目にあったのに

鴉が逃げた後、鳩は戻ってきて

今そこにいる。

脳みそないんか、鳩!


連鎖、また連鎖。

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一昨年の秋に

 
奈良公園で紅く散っていたのが
 
愛おしくて
 
拾い集めて糸でつないだ
 
そのまま紅葉は
 
私の壁で枯れていった
 
ひとつ
 
たった一歩とか
 
たった一言とか
 
たった一度のたまたまとか
 
そんなことが
 
繋がって跳ねていく
 
それはまわりにも
 
音叉の振動のように連鎖して
 
まわりじゅうが
 
なんだかえらく
 
跳ねている。
 
 
 

遠くに見上げる高い山

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恩師が

作品展をされたので

観に行ってきました。

去年FBでつながって以来、

観ていてくださっているようで

墨で作品をつくっていることも

知っていてくださって

「けど、やっぱりデザインの要素が強いと思うわ」と

おっしゃった。

自分の根っこは「デザイナー」だと言われたように

胸に響いた。

何十年もデザインで仕事をされて

今も現役で揺るがない先生の言葉やから

ぶれんときやと

言われた気がした。

 

墨柄プリントのテキスタイルのことを

お話ししようと思っていたのだけど、

なんとなく

言いそびれて

頑張れてるのかな、私は。

とか思った。

 

グループ展に名を連ねている

平均年齢70代オーバーの先生方の

ロマンスグレーが

遠くにそびえる高い山に

積もる雪のよう

 

その場所に行けるのかな。

いつか。

 

時間はかつてしずかに流れていた

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2012年の個展での作品

 

「時をとじる」という制作

 

庭の梅の木の下に攪拌した紙を置き

 

落ちてくる実

 

飛んでくる葉

 

期待はできないけど、猫の足跡など

 

捕獲してみようという時間をテーマにした作品をつくった

 

閉じ込めた梅の実は

 

紙の中で朽ちて粉々になっていった

 

色褪せても花であることを保っているラベンダー

 

モノの在り様と時間。


もう少し掘り下げてみたい制作ですが

 

残念ながらいまの私は

 

モモの灰色紳士に搾取されたごとく

 

手持ちの時間がどんどん減っていく

 

なぜだ・・・・・



と、そこでここにアザトク繋げるんですが、

閉じられる廃工場での制作は

 

もしかしたら私に「時間」を返してくれるかもしれない。

「the birthday」レクイエムライブ