余白-コトバの外側

白と黒の間に世界は無限に在る

すとんとスイッチが入った

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夏の幕引きはイキナリであった。

 

秋はすとんと心の真ん中にやって来た。

 

雲の形がまだもこもこしていても

 

肌に触れる空気は秋だ。

 

秋は戦闘の季節で

 

出し尽くす季節で

 

走る季節だ。

 

今は前しかみない。

 

いろんな事は三ヶ月後にふり返ろう。

 

 

夏の明け方にみた長い夢

個展前のアトリエのように雑然と散らかった夢だったが、いくつか印象的な箇所があった。

またも美大に在学中という設定だ。

10代に戻ったわけではなく、今の私で、そして筆を探している。

広く近代的な校舎の中でMさんに会い、立体作品を作るという彼女にスカーフを持っていてくれと言われる。荷物で手がいっぱいなのだ。手は空いていないはずなのになぜか腕を組んで来る。実際にはそれほど親密ではない、業界では先生と呼ばれてるMさんと同級生のように腕を組んだ。

女性特有の細く乾いた感触が腕に残った。実際のMさんの腕の感触に似ているのではないかと目覚めてから思う。

彼女の作業場の椅子に預かったものを掛けてあげて、その場を去り探し物を続ける。

あちこちで誰かが作品を作っていて、圧倒される。

ガラスにブルーのリキテックスで描いている人の絵が美しい。

私自身について、モノトーンではなくてもいいのではないかという疑問が湧いて来る。

それは全て夢の中の思考だ。

そう思いながらも探しているのは毛足の長い面相の大きな筆である。いつもの墨で使う筆なのだ。どうやら夢の中でパフォーマンスをするらしい。

先に描いている書家の人が居て、次に描くことになった。筆はさっき見つけたのだ。

墨を借りようとすると、それは大事なものだから貸さないと言われる。

それなら仕方ないと手元を探すと都合よく墨と硯が見つかる。誰かのものだと思うがそれを使って美大のキャンパス内に白い紙を広げ、描く。

が、夢にありがちなことで、風がふき、紙がうまく広がらない。

結局、最後まで描けたのかどうかは記憶に残っていない。

筆を見つけた後、なぜか20年くらい前に一緒にテニスで遊んでいた仲間の1人のiさんと食堂の前で出会い、「あの占い当たった?」と聞かれた。iさんは美大や制作とは全く関係のないところでつき合いのあった人だが、今も大型スーパーなどで偶然に出くわしたりする人だ。

Mさんが親しげに組んで来た腕の感触と、当たったのかもしれない占いのことが印象的な夢のだった。その占いの内容が何だったのかiさんは言わなかったが。

 

今日は外に出なくてもいいことになったので、溜まっていた眠りを貪り続けている。

熊のように寝溜めが出来るたちなのだ。

 

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目的地の途中の降りたことのない駅で次の電車を待つ間

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風の森という名前の美術館に

 

行く時間をやっと見つけた。

 

展示会の予定が来週まで延びて

 

搬出の日が1週間延びたのだ。

 

3時間かかるというので

 

朝から遠足の気持ちで

 

リュックサックに

 

心持ちうきうきを詰め込み

 

電車を乗り継ぐ。

 

初めて降りる駅のホームの向かいの緑が夏の色

 

ここから緑はさらに深く

 

風の森は緑の濃さの先にあるらしい。

 

先月まで、どこか瓶の底でユラユラしていたものが

 

クッキリと形が見えてきて

 

早く描きたい。

 

描くものが見えているとき

 

私は一番元気だ。

 

 

 

 

 

椰子の木は唄う、南風は運ぶ。唄は滑らかな海をわたる。

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南の島の家に

 

波と風を描きたいと思った。

 

風は扉を開けてすぐの玄関に。

 

波は横たわり休む間に。

 

風は細い空気の動き

 

椰子の木にまとわり

 

島の記憶を運ぶ。

 

海岸に寄せる波が

 

風の中に

 

潮をのせる。

 

そんな筆の運びを想う。

 

山に守られて育ったわたしは

 

海をよく識らない。

 

山を越えて内陸に吹く風は

 

どこか滋養を湛えている。

 

島に来る風は

 

どこか肉を削ぎ落とした

 

晒さな音がするのではないか

 

椰子の葉を通り過ぎる時も。

 

 

 

 

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六月の青い水の底

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ふたつの大きな出し物を終えて

 

もう夏には何もしない。

 

ずっと水面でぷかぷか浮いていた

 

「やりたい事の泡」が

 

ゆっくりと丸くなって

 

水の底に落ちていく。

 

すとんすとんと

 

綺麗な丸になって、しばらくそこで熟すのだ。

 

泡が「実になろう」と決まるのは

 

決意というより時期だ。

 

何もかもがわぁわぁ生まれる

 

騒がしい春が過ぎて

 

夕暮れが青くなる季節


六月はいろんなことが

 

静かに決まる月なのだ。

 

 

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南の島の端っこに風の通る道をみつけに

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走るときは

 

前を見ていないと

 

時々危ないわけなのだが

 

何かにぶつかったり

 

道を間違えたり

 

そういう類の失敗について。

 

しかしながら

 

ここ数ヶ月は

 

走りながら見ているのは前でも後ろでもなく

 

横でもなく

 

私自身のなかだ。

 

今走っている道と

 

私の中にあって

 

もやもやと

 

うねうねと

 

定まりのよろしくない

 

道のようなもの

 

ハイビスカスの花と

 

静かな海と

 

風に歌う椰子

 

そんなものを描くために

 

大きな筆を新調した。

 

来月はみつけに行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間が足りない夏に小さな別離をいくつか課す

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にぎわいの家の蔵展示。

 

茶屋町のスロウデイ。

 

そこに割り込む沖縄のゲストハウス。

 

こんなことばかりしていたら

 

楽しすぎて破産しそうな予感、

 

今日

 

やることを選ぶべきという言葉をもらった

 

そうなんだろうなと

 

少し前からわたしも

 

どこかで気がついていた。

 

自分のなかで

 

少しでも「ん?」て感じたら

 

出しかけた一歩は

 

引っ込めてもいいのかもしれない

 

時間だけが

 

平等に24時間しかないとしたら

 

もっと描く時間をつくるべきなんだろな

 

半年前、今年こそ

 

腰をすえて描くことと向き合おうと

 

思っていたはずだったが

 

今まではかからなかった声があちこちから

 

そうなると

 

持ち前のもったいない精神稼働。

 

もったいない精神は

 

よくないよ。

 

捨てることこそ

 

誠意。

 

あらゆる意味で。