銀練墨色

白と黒の間に世界は無限に在る

走りながらはじまった2017年と「いつかしの月」のこと

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「いつかしの月」という物語を舞台の上に乗せた。

歌とかたりの公演。そのことについてすこし書きたい。

額田王のファンタジーは、ほんとうはSFとして書いていて、

歌語りのメンバーとの話し合いで万葉をテーマにすると決まった時

額田で書くしかできないだろうと思ったことが

いつかしの月の発端。

SFからは離れて、わりと堅実な歴史ファンタジーに仕上がったのかなと思う。

歴史というのはその時の政治を背景にして出来上がってる。

時の政権の正統性を裏付けるために、色つけされながら

事実を記録したものが歴史の正体。

歴史というのは恐ろしく誘導性に満ちている。


いつかしの月は万葉集の中にしかほぼ存在しない

「額田王」という歌人の和歌から

ピンポイント的に想像していく私史観に他ならない。

物語の中に挿入される曲は

 

和からぶっ飛んだクラッシックなものが出来てきた。

それは、かなり私の意図通りでもあった。

打ち合わせを細かくしたわけではないのに、この絶妙なマッチはなんなんだと思った。

作曲家としての中橋怜子の才能にも驚いた。

背景には風の音、森の声、波しぶき、嵐と、自然音を多く使った。

その中でひとつこだわったのは鈴の音。

鈴というのは古代から魂と深く関連ついているアイテムで

鈴や鐘の内側に「風」が入って鳴る、というシステムを

祈りの場で使ったのだと思っている。

寺院では東西を問わず、鐘や鈴が「神」を呼ぶものとして在る。

イメージするのは「カタ」に「無形のスピリット」的なものが入って初めてモノになるのではないかという概念。

鈴という金属の型に風が入って魂を呼ぶ。

肉体に精神が入って人に成る。

そのシステムの象徴が「鈴」という思いつきを

主人公が言霊の巫女になる場面で背景に、

サブリミナルのように入れたかった。

マニアックなこだわりを実現してくれた大橋了久。

もうひとつの演出として「色」で舞台転換を表現する、

という考えがあり、其々の和歌に「色」を設定して

舞台上の書作品に色を重ねた。

色彩豊かであることが額田王の和歌の印象でもあった。

そして

舞台展示の書だけが、古典を忠実に表現することとなった。

これを書くために半年の間、古典と向かい合っていた書家くず上ともこがいる。

結局はこの書作品が大きな地盤となっていて、その上で自由に表現できていたのだと感じた公演になった。

物語を書いたものの性なのか、

自分自身は本に手を入れたいところが散見した舞台。

さらなる手直しと新しいことに向けて。


見に来ていただいて、本当にうれしい。

チケットは楽しみを約束するもの。それにお金を出してもらったことが重い。

 

裏切らなかったかと、思ったりする。(心配ではある)