「いつかしの月」という物語を舞台の上に乗せた。
歌とかたりの公演。そのことについてすこし書きたい。
額田王のファンタジーは、ほんとうはSFとして書いていて、
歌語りのメンバーとの話し合いで万葉をテーマにすると決まった時
額田で書くしかできないだろうと思ったことが
いつかしの月の発端。
SFからは離れて、わりと堅実な歴史ファンタジーに仕上がったのかなと思う。
歴史というのはその時の政治を背景にして出来上がってる。
時の政権の正統性を裏付けるために、色つけされながら
事実を記録したものが歴史の正体。
歴史というのは恐ろしく誘導性に満ちている。
いつかしの月は万葉集の中にしかほぼ存在しない
「額田王」という歌人の和歌から
ピンポイント的に想像していく私史観に他ならない。
物語の中に挿入される曲は
和からぶっ飛んだクラッシックなものが出来てきた。
それは、かなり私の意図通りでもあった。
打ち合わせを細かくしたわけではないのに、この絶妙なマッチはなんなんだと思った。
作曲家としての中橋怜子の才能にも驚いた。
背景には風の音、森の声、波しぶき、嵐と、自然音を多く使った。
その中でひとつこだわったのは鈴の音。
鈴というのは古代から魂と深く関連ついているアイテムで
鈴や鐘の内側に「風」が入って鳴る、というシステムを
祈りの場で使ったのだと思っている。
寺院では東西を問わず、鐘や鈴が「神」を呼ぶものとして在る。
イメージするのは「カタ」に「無形のスピリット」的なものが入って初めてモノになるのではないかという概念。
鈴という金属の型に風が入って魂を呼ぶ。
肉体に精神が入って人に成る。
そのシステムの象徴が「鈴」という思いつきを
主人公が言霊の巫女になる場面で背景に、
サブリミナルのように入れたかった。
マニアックなこだわりを実現してくれた大橋了久。
もうひとつの演出として「色」で舞台転換を表現する、
という考えがあり、其々の和歌に「色」を設定して
舞台上の書作品に色を重ねた。
色彩豊かであることが額田王の和歌の印象でもあった。
そして
舞台展示の書だけが、古典を忠実に表現することとなった。
これを書くために半年の間、古典と向かい合っていた書家くず上ともこがいる。
結局はこの書作品が大きな地盤となっていて、その上で自由に表現できていたのだと感じた公演になった。
物語を書いたものの性なのか、
自分自身は本に手を入れたいところが散見した舞台。
さらなる手直しと新しいことに向けて。
見に来ていただいて、本当にうれしい。
チケットは楽しみを約束するもの。それにお金を出してもらったことが重い。
裏切らなかったかと、思ったりする。(心配ではある)