銀練墨色

白と黒の間に世界は無限に在る

椰子の木は唄う、南風は運ぶ。唄は滑らかな海をわたる。

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南の島の家に

 

波と風を描きたいと思った。

 

風は扉を開けてすぐの玄関に。

 

波は横たわり休む間に。

 

風は細い空気の動き

 

椰子の木にまとわり

 

島の記憶を運ぶ。

 

海岸に寄せる波が

 

風の中に

 

潮をのせる。

 

そんな筆の運びを想う。

 

山に守られて育ったわたしは

 

海をよく識らない。

 

山を越えて内陸に吹く風は

 

どこか滋養を湛えている。

 

島に来る風は

 

どこか肉を削ぎ落とした

 

晒さな音がするのではないか

 

椰子の葉を通り過ぎる時も。

 

 

 

 

六月の青い水の底

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ふたつの大きな出し物を終えて

 

もう夏には何もしない。

 

ずっと水面でぷかぷか浮いていた

 

「やりたい事の泡」が

 

ゆっくりと丸くなって

 

水の底に落ちていく。

 

すとんすとんと

 

綺麗な丸になって、しばらくそこで熟すのだ。

 

泡が「実になろう」と決まるのは

 

決意というより時期だ。

 

何もかもがわぁわぁ生まれる

 

騒がしい春が過ぎて

 

夕暮れが青くなる季節


六月はいろんなことが

 

静かに決まる月なのだ。

 

 

南の島の端っこに風の通る道をみつけに

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走るときは

 

前を見ていないと

 

時々危ないわけなのだが

 

何かにぶつかったり

 

道を間違えたり

 

そういう類の失敗について。

 

しかしながら

 

ここ数ヶ月は

 

走りながら見ているのは前でも後ろでもなく

 

横でもなく

 

私自身のなかだ。

 

今走っている道と

 

私の中にあって

 

もやもやと

 

うねうねと

 

定まりのよろしくない

 

道のようなもの

 

ハイビスカスの花と

 

静かな海と

 

風に歌う椰子

 

そんなものを描くために

 

大きな筆を新調した。

 

来月はみつけに行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間が足りない夏に小さな別離をいくつか課す

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にぎわいの家の蔵展示。

 

茶屋町のスロウデイ。

 

そこに割り込む沖縄のゲストハウス。

 

こんなことばかりしていたら

 

楽しすぎて破産しそうな予感、

 

今日

 

やることを選ぶべきという言葉をもらった

 

そうなんだろうなと

 

少し前からわたしも

 

どこかで気がついていた。

 

自分のなかで

 

少しでも「ん?」て感じたら

 

出しかけた一歩は

 

引っ込めてもいいのかもしれない

 

時間だけが

 

平等に24時間しかないとしたら

 

もっと描く時間をつくるべきなんだろな

 

半年前、今年こそ

 

腰をすえて描くことと向き合おうと

 

思っていたはずだったが

 

今まではかからなかった声があちこちから

 

そうなると

 

持ち前のもったいない精神稼働。

 

もったいない精神は

 

よくないよ。

 

捨てることこそ

 

誠意。

 

あらゆる意味で。

 

逃亡したいような四月

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五月の準備をしつつ

 

六月のことを考え

 

四月の仕事が収まることに胃を痛める。

 

 じゅうぶん

 

勤勉ではなかろうか。

 

緩急ない勤勉さだ。

 

家の中でくるくる時計が回っていく

 

時間が足りないことに

 

腹をたてるがその怒りに行き場はない。

 

気がついたら

 

桜は散ってる。

 

そんなことでいいのか

 

とにかく、

 

まったく気持ちが進まない。

 

 

 

 

 

 

ひざをやわらかく曲げる四月

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ここ数年ひかなかった風邪を、

二月と四月に続けてひいた。

風邪を理由に


花冷えの雨の日にぬくぬくと眠る。

コップに溢れそうな水の底に膝をかかえて眠る。

目覚めたら、薄暗がりの部屋は時間もわからないからまた眠る。

魔法にかけられたように、眠っても眠っても眠る。

起きたら百年過ぎていそうなくらい眠る。

 

シチューの中のニンジンがとろとろ溶けそうなくらいに眠る。

目覚めたら、世界はきっと春なのだ。

ぴょんぴょん飛び跳ねる春なのだ。

走りながらはじまった2017年と「いつかしの月」のこと

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「いつかしの月」という物語を舞台の上に乗せた。

歌とかたりの公演。そのことについてすこし書きたい。

額田王のファンタジーは、ほんとうはSFとして書いていて、

歌語りのメンバーとの話し合いで万葉をテーマにすると決まった時

額田で書くしかできないだろうと思ったことが

いつかしの月の発端。

SFからは離れて、わりと堅実な歴史ファンタジーに仕上がったのかなと思う。

歴史というのはその時の政治を背景にして出来上がってる。

時の政権の正統性を裏付けるために、色つけされながら

事実を記録したものが歴史の正体。

歴史というのは恐ろしく誘導性に満ちている。


いつかしの月は万葉集の中にしかほぼ存在しない

「額田王」という歌人の和歌から

ピンポイント的に想像していく私史観に他ならない。

物語の中に挿入される曲は

 

和からぶっ飛んだクラッシックなものが出来てきた。

それは、かなり私の意図通りでもあった。

打ち合わせを細かくしたわけではないのに、この絶妙なマッチはなんなんだと思った。

作曲家としての中橋怜子の才能にも驚いた。

背景には風の音、森の声、波しぶき、嵐と、自然音を多く使った。

その中でひとつこだわったのは鈴の音。

鈴というのは古代から魂と深く関連ついているアイテムで

鈴や鐘の内側に「風」が入って鳴る、というシステムを

祈りの場で使ったのだと思っている。

寺院では東西を問わず、鐘や鈴が「神」を呼ぶものとして在る。

イメージするのは「カタ」に「無形のスピリット」的なものが入って初めてモノになるのではないかという概念。

鈴という金属の型に風が入って魂を呼ぶ。

肉体に精神が入って人に成る。

そのシステムの象徴が「鈴」という思いつきを

主人公が言霊の巫女になる場面で背景に、

サブリミナルのように入れたかった。

マニアックなこだわりを実現してくれた大橋了久。

もうひとつの演出として「色」で舞台転換を表現する、

という考えがあり、其々の和歌に「色」を設定して

舞台上の書作品に色を重ねた。

色彩豊かであることが額田王の和歌の印象でもあった。

そして

舞台展示の書だけが、古典を忠実に表現することとなった。

これを書くために半年の間、古典と向かい合っていた書家くず上ともこがいる。

結局はこの書作品が大きな地盤となっていて、その上で自由に表現できていたのだと感じた公演になった。

物語を書いたものの性なのか、

自分自身は本に手を入れたいところが散見した舞台。

さらなる手直しと新しいことに向けて。


見に来ていただいて、本当にうれしい。

チケットは楽しみを約束するもの。それにお金を出してもらったことが重い。

 

裏切らなかったかと、思ったりする。(心配ではある)